レースゲーム参戦記
(MONACO GRAND PRIX RACING SIMULATION2)


Before Monza
来シーズンへ向けて以前に今季最終戦まで走れるだけの
確約すら得られていない私はチームから提示されたリミットを
ついに迎えてしまった。
泣いても笑っても今回がラストチャンスだ。
しかしながら、チームは来季の残留オファーを持ちかけてくれてくれた。
当然の如くスポンサー持ち込み条件が書かれていたが……
内容を見て驚いた、持ち込み指定額が3倍に増加していたのだ。
今季多くマシンを壊した事を考慮してといわれたが、かなり厳しい額だ。
他の中堅以下クラスのチームもスポンサー持ち込み条件付で
オファーを出してくれているのだ。
提示額はミナルディより遥に低く済んでいる。
これならば用意できない事は無いと思う額だってあった。
しかし、まだ決められない。
各チームも結論を出すのを待ってくれると言ってくれている。
まずは今回のレースを走って今季の去就を決めてからでなければ…!
だが、早く結論を出さないと他のドライバーにシートを奪われてしまう。
私は日本GPまでには正式発表を行えるようにすると各チームへ伝えた。


第13戦イタリアGP 〜モンツァ〜
南半球オーストラリアから始まった今年のF1サーカスも、
はや第13戦イタリアGPを迎えた。もう残るはわずかに5戦だ。
サンマリノに次いで、今年2回目のチームの母国GP。
みっともない結果だけは残したくない。
イコールで私のシート喪失を意味しているからでもある。
予選は、最初のアタックはそつなくまとめた
…と思いきや、パラボリカで痛恨のミス。
レフトフロントをアウト側に落としてしまった。
それから立てなおし、「次こそは!」と思いコントロールラインを通過。
前にいるマシンをかわそうとラインを変えた瞬間、
ピットアウトしてきたマシンに300km/hオーバーで突っ込んでしまった。
それでも私も相手(バリチェロ)も体は無傷だったのだ。
すぐさまTカーに乗り換えた私は、自分のマシンの残骸を横目に
ピットアウトし、タイムアタックを再び開始した。
6周目には1分28秒代のタイムを出し予選通過は確実なものになった。
私はマシンをピットに一旦戻し、スチュワートのピットを訪れた。
もちろんバリチェロやオーナーのジャッキーに謝るために……
彼らは、にこやかに許してくれたが、バリチェロはマシンがないらしい。
私に「Don't mind」と言ってくれたときの彼の笑顔の中に隠された
寂しさはそれだったのだ。
私はもうこれ以上予選を走る気は起こらなかった。
しかし、その私の目には不思議な光景が飛び込んできたのだ。
タイミングモニターの5位以下が未だにno timeなのだ。
残すところ予選はあと10分弱。
結局他のマシンは走ることなく予選落ちが確定した。
………なぜ他チームは走らなかったのだろう?

翌日の決勝、グリッドについたマシンはたったの4台。
観客席に観客は殆どいない。
フェラーリも昨日アタックせずに予選落ちしたのだ。
ポールはベルガー、続いてアレジとベネトンが並び
3位に中野、4位が私というスターティンググリッドだ。
私はスタートを難無く決めトップで第1シケインに飛びこんだ。
オープニングラップを終えたら後ろのベルガーに2秒ちょっとの
差がついていた。が、直後のシケインでバランスを崩し
ベルガーに先行される。
翌周全く同じ所でスピン、アレジ、中野にかわされ4位に、最下位だ。
しかし、中野は私をかわす時に軽く接触、タイヤがバーストしたのか
スロー走行をしている。
ロッジアの飛びこみで中野をかわすとアレジを猛追した。
しかし、それが裏目に出たのが11周目。
第1レズモ、アスカリと連続してミス。
タイヤ交換して追い上げてきた中野にかわされてしまう。
冷静に走っていれば表彰台が確実だったのにと今更思っても後の祭。
表彰台を得るために中野を追い上げた。
そして翌周のメインストレートで中野のスリップから抜け、
第1シケインまでにパス、3位を実力で取り返した。
それ以降徐々に中野を引き離し、トップから1分12秒遅れの
3位でゴール。
ミナルディにF1参戦以降初めての表彰台を
地元GPでプレゼントする事ができた。
これで私はドライバーズポイントを4点獲得、12位にランキングされた。
コンストラクターズも4点で7位にランキングされた。