子供が大人になる瞬間 「嫁に来い」 高校三年生の初夏、幸太はあたしに言った。 あたし−夏美−と幸太が出逢ったのは、一昨年の春、高校に入学したとき。 高校生活の最重要事項とも言えるクラス分けで、あたしと幸太は一緒のクラスになった。 苗字の頭文字が近いこともあって、ちょこちょこと話すうちに、あたしたちは近づいていった。 元からフィーリングが近いこともあったのだろう。 梅雨の時期にはクラス公認カップルになっていた。 梅雨の雨の中を二人、傘をさし、歌いながら下校したり。 夏にはお互いの家に行き宿題をしたり、夜には星座を眺めたりしたり。 秋には紅葉を見て、銀杏に彩られた金色のビロードの上を散歩したり。 冬には初日の出を観に行ったり、雪の降る中を濡れるのもかまわずはしゃぎまわった。 とても穏やかで、優しい時間だった。 幸太は子供っぽくはしゃぎ回るあたしをいつも穏やかに見守ってくれていた。 二人して羽目を外して、こっそりお酒を飲んだりもした。 そんなあたしたちが結ばれたのは付き合い始めて一年とちょっと経ったころ。 山が二年目に彩られ始めたころのことだった。 二人して初めてなものだからそろいもそろってガチガチに緊張して、けど幸太が「大丈夫だよ」って言いながら 優しくキスしてくれて、そうっと、服を脱がされていくのが恥ずかしくもあり、くすぐったくもあった。 幸太の「大丈夫だよ」って言いながら微かに震えてる指先の体温は今でも覚えていて、とても暖かくて優しい記憶だ。 ぎこちないながらも結ばれたそのときは、意識がとろけそうなほど嬉しくて、何度も、幸太、幸太って呟いた。 大好きな幸太。 いつかは純白のウエディングドレスを着て、バージンロードを幸太の元へと歩きたいと思っていた。 それがこんな形で訪れるなんて。 高校三年生の梅雨。 志望校も決まり、大学進学へと向けて授業は佳境に入っていた。 あたしも幸太も同じT大学にしようと約束して、塾に通って必死に勉強していた。 そんな矢先のことだった。 昼食の時間のこと。 いつものようにお母さんの作ってくれたお弁当を広げ、女友達と一緒にお昼ごはんにしようとしたときのことだった。 今日は大好きなタコさんウィンナー♪と上機嫌でウィンナーを口に運ぼうとしたとき、突然気持ち悪くなって すぐにトイレに駆け込み、戻してしまったのだ。 そのときは体調も悪くなかったし、悪いのは黒い雲の広がった空と気分の悪くなる湿気だけ。 たぶん勉強疲れが溜まっていたのだろうと、友達も言ってくれたのでその日はお弁当は仕舞って友達と談笑しながら一日を終えて帰宅した。 しかし、夜ごはんのときにも同じように気持ち悪くなり、戻してしまったのだ。 それからしばらくそんな日が続いた。 幸太も友達も気を使ってくれて、「病院に行ったほうがいいんじゃないの?」と心配してくれた。 しかしあたしはただの気疲れだろうと、「平気へいき!」と言って数日が過ぎた。 ある日の下校途中、幸太と喫茶店に入って奥のほうの席を陣取り、勉強道具を広げながら突然幸太が言ったのだ。 「なぁ、夏美。おまえ、前回生理きたときからどれだけたってる?」 予想外の質問に目を丸くしながら、あたしは手帳を取り出して前回の生理の日にちを確認した。 「ええと、前回が・・・四、月・・・だから軽く二ヶ月ちょっと経ってるね」 ひんやりとした汗が背筋を伝った。 「調べてみた方がよくねぇ? 妊娠検査」 幸太は真摯な目であたしを見つめ続けた。 「おまえ、この頃全然昼飯食ってねぇだろ。見た目も細くなってきてるし・・・」 現実だった。 確かにこの頃は気持ち悪くなるのが嫌でお弁当を持ってこなかったり、持ってきても軽いサラダだけとかにしている。 よく見てるなぁと思いながら、確かに幸太の言うことも一理あるので、 「うん、わかった。検査してみるよ。・・・・・・検査薬買うの、一緒にきて?」 「あぁ、じゃぁ駅前のドラッグストアにあるかな? あーゆーもんてどこで売ってんだろうな?」 「たぶんドラッグストアで聞けばわかると思う、よ。・・・制服のままだと気まずいね、あはは・・・。 けどまー、善は急げって言うし、いっちょ行ってみますか」 うし!と気合を入れ、広げていた勉強道具を鞄に仕舞う。 幸太も出る準備ができたところで二人して駅前のドラッグストアに向かった。 「・・・」「・・・子供、できちゃってたらどうしようね・・・」 ぼそぼそと会話をしながら問題のドラッグストアにやってきた。 店員さんに声を掛けると、あからさまにじろじろと制服姿を見られたが、「こちらです」と、妊娠検査薬の置いてあるコーナーに案内してくれた。 「一回用と二回用なんてあるよ。あ、二回用の方が断然お得だ〜」 「二回なんていらないだろ。・・・性能、99.9%か。これならほぼ確実にわかるってわけだ」 そして二人して選んだのが一回用のもの。 「これで陽性だったら、産婦人科行きだな」 「う〜、やだなぁ。なんか、友達に聞いたんだけどひっくり返った蛙みたいな格好させられるらしいよ」 「はいはい、馬鹿言ってないでさっさと買って来いって。俺は店の入り口で待ってるから」 「わかった。じゃぁ行ってくるね!」 無駄に力んで夏美はレジに向かった。 そして出た結果が・・・、 「嫁に来い」 だ。 つまり陽性反応。 おなかの中に赤ちゃんがいますよということ。 「だ、だって、学校とかどうするの? 大学進学も控えてるし・・・」 「俺は大学進学はあきらめて就職なりアルバイトなりするよ。夏美は・・・時期的に言って入試の次期に臨月だから 今年の入試は受けられないかもしれないけど、いきたければ来年、子供生んでからでもいけるし、・・・大丈夫だよ」 「大丈夫」 幸太の口からその言葉を聞くと、何故か無性に安心する。 こんな状況だっていうのに。 「結婚、しよう」 手を握られて、真っ直ぐに見つめられて。 「・・・うん」 迷うことなく頷いた。 お母さんもお父さんも反対したけど、あたしの必死の説得と幸太の真摯的な態度に渋々だが認めてくれた。 幸太はお父さんに散々どやされたみたいだけど、あたしが幸太の家を訪れたときにはお父さんもお母さんも優しく、 「うちの幸太みたいなのでよければよろしくね」と言って迎え入れてくれた。 駆け落ちなんてする必要なく、大切な人たちに祝福されて結婚できるんだ!嬉しくて幸太の胸の中でわんわん子供みたいに泣いた。 幸太はそんなあたしを優しく抱きしめて、泣き止むまで優しく髪の毛を梳いてくれていた。 自分がこうなるまでは、できちゃった結婚なんてしたくない!って思っていたけど、できちゃった結婚でも みんなに祝福されて結婚できるならこんなに嬉しいことはないよね。 あたしの中の、まだみぬ子へ。 お母さんもお父さんも貴方が生まれてくるのを心待ちにしています。 元気な身体で生まれてきてね。 貴方に会える日を、心の底から楽しみにしています。おしまい 戻る