ココロの光 SoundHorizon 「Roman」より

  こ ん ば ん わ
 「ボンソワール」

男が耳元で囁いた。その手には細いレイピアが、一人の男の分厚い胸板に突き刺さっていた。 
突然のことに、空気が凍り、皆が呆然と見守る中、男は、 
   さ よ う な ら
 「オルヴォワール」

そう言って突き刺さったレイピアを抜き放つと、一目散に木製の扉の外へと飛び出していった。 
後に残されたのは、アル中にして薬中の、隻眼の男の、吹き出る血で真っ赤に沈んだ動かぬ身体。
そしてその傍には、男の身体から吹き出る血と同じ色をした真っ赤な葡萄酒の瓶が転がっていた。

誰が加害者で、誰が被害者か。
店の者は、手早く男の遺骸を片付けると、店の中は何事もなかったかのように再び動き始めた。
このような下町の安酒場ではよくあることなのだろう。 
人々は平穏を取り戻し、手に手に杯を取り、食事を再開した。
レイは、しばらく凍り付いたままでいたが、マスターの呼びかけでようやく我を取り戻し、カウンターに腰かけた。

隻眼の男を追って家を売り払い、そのままの勢いで住んでいた町を飛び出してきたので、レイの懐にはかなりの額の硬貨があった。
レイはその袋をまじまじと見つめ、この店で一番高い葡萄酒を注文した。

 「悪酔いしないやつを頼むよ」

一言付け加えると、酒がくるのを待った。
そしてカウンター越しにマスターがグラスを置いた。
淡い、柔らかい紫色をした葡萄酒だった。

 「ロレーヌです」

マスターは一瞥をくれると、グラスを拭きながら言った。

 「上品で、悪酔いしないのが特徴の上物ですよ」

レイは言われるままにグラスに口を付けた。
そしてしばらく舌の上でロレーヌを転がして堪能すると、

 「・・・・・・美味い。」

と、一言呟いた。

 「これが本当の葡萄酒なら、俺が今まで葡萄酒だと思ってきたものは一体なんだったんだ」

一人ごちると、今までの自分を顧みて溜め息を吐いた。
レイが葡萄酒をちびちびと堪能していると、レイの足元カタンという乾いた音がした。
                               
なにごとかと思いカウンターの下を覗き込むと、暗い足元には鳶色の瞳がぎょろりとこちらを見つめていた。
そして、レイの足元に置かれていたレイ愛用の剣をさっと奪い取ると、カウンター下から抜け出し、
脱兎の如く駆け出し、木製の扉をバタンと大きな音をさせて出て行った。
その様子を、レイはほんのりと酒の回った頭で眺めていた。

 「あー・・・・・・、盗まれたのか」

復讐劇の舞台を強制的に目の前で降ろされた男にとっては、使えぬ剣を盗まれたことなど些細なことでしかなかった。

翌朝、その酒場の上に宿を取っていたレイは、朝食にパンとスープを胃に流し込むと、昨晩考えていたことを思い返した。
それは、恋人だったナタリーとその子供を探し出すと言うことだった。
ナタリーはレイが戦場で右腕を切り落とされ打ち捨てられていたところを、必死の看病で立ち直らせてくれた、
レイにとっての恩人であり、最愛の恋人だった。

レイが病床から立ち上がったとき一緒について来てはいたのだが、レイの度重なる(飲酒による)暴力から、
自身ではなく、我が子を守るためにレイになにも告げずに出て行ったのだった。
レイがそのことを知ったのは、ナタリーが出て行った数日後のこと。
近隣の女性からナタリーが懐妊していたことを知らされたのだった。

 ナタリーとその子供とともに暮らしたい。

それがレイの最大の望みだった。
               うな
隻眼の死神はもういない。
悪夢に魘されることも、それによってナタリーに暴力を振るうこともない。
レイはナタリーを迎えに行くことを決意し、町で携帯用の食料を買い、護身用の剣を購入し、
最低限の野宿用具を取り揃え、出発した。
ナタリーの居るであろう実家までは、ここから馬を用いても七日はかかる。
レイは、できる限りの準備をして町を出た。
愛すべき恋人と、未だ見ぬ我が子に思いを馳せ。

しかし、レイがナタリーの実家に辿り着いたときには、すでに遅かった。
子は生まれ、ナタリーは我が子をその腕に抱くこともできずに他界したというのだ。
   いのち
自らの焔と引き換えに。 

我が子の手をしっかりと握り締め、安らかな寝顔だったという。
子の名前はナタリーが前もって決めていた。   
戦場に出ていたときの父のように気高く、胸に自らの星(ほこり)を持って。

『星(エトワール)』と・・・・・・・・・。


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