――はじめに――

この物語は、

 「とらいあんぐるハート3 〜Sweet Songs Forever〜」ならびに
 「リリカルおもちゃ箱・ミニシナリオ」

に登場する、フィリス・矢沢先生に焦点を当てたものです。

従って、これら作品をプレイした後でお読み頂けると幸いです。

では、つたない物語にしばし、お付き合い下さいませ。



















〜 ココアのある風景 〜
その夜、高町恭也は海鳴大附属病院の、とある部屋にいた。 そこは、フィリス・矢沢先生の診察室である。 日中は外来患者や入院患者の応対で、それこそ大わらわなのであるが、入院病棟の面会時間も終わった 夜更けの病院内は、誰もが声を潜めたかのように、しんと静まり返っている。 今日は、クリスマス・イブ。聖夜。 この日、恭也は高町家の家族とクリスマスパーティーをしている。 今回のパーティーは、「かーさん」こと高町桃子経営の喫茶店〔翠屋〕を貸し切り状態にして、 那美や久遠、忍にノエル、そしてシェフの松尾さん親子に晶やレンの友達も交え、まことに賑やかなものとなった。 そろそろお開き、という頃になって桃子から、 「今日、行くんでしょ?」 「ん、ああ」 「それなら、これ……持って行きなさいな」 「あ……済まない、かーさん」 「うふふっ」 ささやかながら、ケーキとオードブル数品の入ったバスケットを受け取って、 恭也は冷える夜道を、フィリスのもとへ急いだのである。 今は、フィリスと一緒に小ぢんまりとしたクリスマスパーティーと洒落込んでいた。 二人が向かい合っている小さなテーブルの上には、小さなケーキとオードブルが小皿の上に乗せられていて、 真ん中には、小さな小さな手作りのクリスマスツリーがある。 手先の器用な入院患者がいて、紙を上手く切ったり貼ったりして、綺麗に仕上げてくれたのだそうな。 「はぁ……美味しい」 「ありがとうございます」 「これでお休みだったら、もっと良かったのに」 そう言って笑うフィリスの表情が、何とも可愛らしく見える。 恭也よりも年上のフィリスなのだが、ふとした仕草もさる事ながら、その笑顔を見ると実年齢より年下に思えてしまう。 ひょんな事からフィリスの「護衛役」を引き受けた恭也であったが、今では護衛役というよりも恋人と言った方がいいだろう。 基本的に少食なフィリスであったが、流石に翠屋のオードブルはお気に召したようだ。 桃子がフィリスの少食な事を知ってか知らずか、彼女にとっての適量を用意してくれていたらしい。 「ごちそうさま」 「お粗末さまでした。全部、食べてしまいましたね」 「ええ、やっぱり翠屋だから、なのかしら?」 「かも、しれませんね」 「あ、そうだ、恭也君。ココア、飲む?」 「いただきます。ええと……」 「お砂糖無し、でしょう?」 「はい」 「うふふっ、じゃあ、ちょっと待っててね。すぐ淹れるから」 恭也は、フィリスがココアを淹れている間にテーブルの上を片付けつつ、何気なく周囲に目を向ける。 パソコンの本体が、時折かたかたと音を立てていた。 しんと静まったように見える夜の病院の中は、実は全てが静寂の世界ではない。 ナースステーションは今日も、不測の事態に対応出来るように決して眠る事はないし、 耳を澄ませば、空調の音がかすかに響いてくる。 恭也が片付けを終わってケーキを出し、ツリーの方に視線を戻した頃、フィリスが暖かいココアの入った マグカップを持って、戻って来た。 「はい、恭也君」 「ありがとうございます」 椅子に腰掛けたフィリスが、マグカップを置いて、今度はゆっくりとケーキ ―― 翠屋特製のショートケーキであった ―― を食べる。 かたや、恭也は甘いものが苦手なので、砂糖抜きのココアをゆっくりと、ゆっくりと含む。 その様子をふと見やったフィリスが、ケーキを食べながら聞いた。 「恭也君って、そういえば……」 「どうかしましたか?」 「甘いものが苦手って、知ってるんだけど……」 「……ああ、それは……」 少し、恭也は言い澱むが、流石に助け舟はいない。 「でも、桃子さんの作るお菓子って、本当に美味しいのに」 「その……前は、かーさんの作る菓子を、よく食べていたんですが」 「ええ」 「新作の試食も、するようになってから……」 「……」 フィリスの表情に、理解の色が浮かぶ。 「恭也君、もしかして……それで?」 「ええ、まぁ……そういう事です」 フィリスは、口直しにココアを一口含んだ。こちらは、スプーン1杯の砂糖が入っている。 「でも、ココアもお砂糖入れるものだけど……」 恭也は、カップの中を見ながら、 「砂糖を入れなくても、ココアにはちゃんと、ココアそのものの甘味がありますよ」 と、言う。 フィリスはそこでふと、以前起こった、 (ココアブーム) を思い出していた。 ココアが健康に良い、という事で、〔ネコも杓子も〕という言葉が似合うくらい、 当時は皆ココアに群がったものだが、今ではそんな事も無い。 「うふふっ」 「どうか、しましたか?」 「ううん、あのね。ココアブームって、あったでしょう?」 「ええ、ありましたね」 「本当はね、健康にいいのは、お砂糖を入れないピュアココアなの」 「そう、なんですか?」 「そうよ。だから、恭也君の飲み方が、本当は正しいの」 フィリスはそう言って微笑むと、手袋をした両手でマグカップを大事そうに持ち、もう一口、ココアを含む。 「今飲んでるココアも、ピュアココアなんだから」 「……なるほど」 「あ、そうだ」 自分のマグカップを置いたフィリスが、ふと口を開く。 「?」 「恭也くんのココア、ちょっと飲ませてくれる?」 「え? ええ、いいですが」 フィリスは、恭也の持ったマグカップを受け取り、砂糖抜きのココアを一口含んでみた。 「……」 「どう、です?」 「…………味が、ないわ」 何となく、うるうるとした目になってフィリスが言う。普段飲んでいるのが砂糖入りであるだけに、 それに慣れてしまった舌には、そう感じても仕方ない。 「ご、ごめんなさい。わたし、やっぱりお砂糖いるかも」 そう言って申し訳なさそうな笑みを浮かべ、フィリスは恭也にマグカップを渡す。 受け取った恭也が、そのココアを口に含んだ途端、 「あ!」 フィリスが急に、声を上げた。 「?」 「え、あ……うぅん、その、な、な、な、何でもないから、恭也くん」 顔が真っ赤になっているフィリスを、最初怪訝に見ていた恭也だったが―― 「……」 動きが、唐突に止まった。 「あ……そのぉ……きょ、恭也、くん?」 恭也も、真っ赤な表情になる。 そう、今頃になって、 (間接キス) に気付いた、というわけであった。 もし、今頃はさざなみ寮でどんちゃん騒ぎの中心にいるであろうフィリスの姉、 リスティ・槙原がこの光景を見たとしたら、果たして何と言った事だろうか。 想像はさておき。 何度かデートもしているし、もう、 (行き着くところまで行っている) にも関わらず、こうした辺りはまだ、初々しい二人だった。 真っ赤な表情のまま、会話がしばらく止まってしまう。そして、共に相手の表情を見る。 「顔……真っ赤、ですね」 「恭也くんだって……顔、真っ赤よ?」 「む、それは……」 「くすっ、ふふ、うふふっ」 「……」 照れくささを、仏頂面で隠そうとして失敗した、そんなぎこちない、しかし優しい微笑みが、恭也に浮かぶ。 その微笑みが、フィリスには嬉しい。 と、窓に視線を移した恭也が、何かに気付いた。そのまま恭也は立ち上がって、窓辺に歩く。 「どうしたの? 恭也くん」 「先生……」 恭也がフィリスを呼んだ。長く、美しい銀髪を揺らして、フィリスが恭也の側に行く。 「外、見て下さい」 「あっ……雪……」 夜空から、はらはらと――白い、小さな精霊が降りてきている。 きっと、留まる事なく、やがて土の中に居を移すであろう精霊達。 それは、海鳴の聖夜にふさわしい、儚い美しさであるのかもしれなかった。 ゆっくりと、精霊達は降りていく。 「綺麗……」 「ですね……」 しばし、二人はその光景を眺めていた。と、 「あ、そうだ」 「え?」 「先生、ちょっと待っていて下さい」 言うや、恭也はコート掛けまで行き、来る時に着ていた上着のポケットから、小さな包みを取り出して戻って来た。 「これ……ささやかですが」 「えっ!? 私に?……ありがとう、恭也くん。えっと、開けても、いいかしら?」 「ええ、どうぞ」 包みをはがして、箱の蓋を開けると―― 「かわいい……」 それは、小さな猫の置き物。フィリスの為に、恭也が悩みながら選んだのだった。 「ありがとう、恭也くん……絶対に、大事にするから、ね」 フィリスの瞳が潤む。恭也の暖かい心が、全身を包み込んでくれるような、そんな気がする。 二人は、自然に寄り添っていた。 聖し、この夜。 これからも、色々と辛い事、苦しい事、悲しい事が待ち受けているかもしれない。 でも、わたしは強くなれる。 今よりも、これからも。 もっと、わたしは優しくなれる。 そう。側に、恭也くんがいるから。 ――メリー・クリスマス―― 〜ココアのある風景〜 了

後記

いかがでしたでしょうか?
この作品は、2003年冬コミ客演の為書き下ろしたものに、多少の手直しを加えたもので、
大本の原典版は「虹色のココア亭」という同人誌(主宰:F・秦野さん)に掲載されましたが、
多分今では手に入らないでしょうね(苦笑)。   管理人註:私はちゃんと原本も持ってますよん♪
さて、この「ココアのある風景」ですが、依頼を受けた時点で〆切りを結構間近に控えていたという状況でして
(確か、〆切りの二週間くらい前?)、実質二日間くらいで原稿を仕上げた記憶があります。
とにかくも依頼が来た時にクリスマスを控えていた事もあって、いわば季節を思わせるような
書き方を心がけるようにやってみたつもりです。

さて、この辺りで筆を擱く事にしましょう。
ではでは。